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健康ということ


父親の手術に立ち会った。


立ち会うといっても、手術を受ける間は別の病室で待つ時間。インフォームド・コンセントは徹底されていて、内容や必要性について、誠実かつ論理的に、本人や家族に事前に伝えられていた。このプロセスがあると、本人⇔医師だけでなく、その家族⇔医師の信頼もうまれる。病院の姿勢や医師の素養によるのかもしれないが、このことは大切と感じた。


終了予定時間をこえる大手術だった。不安でしょうがなかった。もちろん今思えば、100%確定した時間でないから「予定」なのであって、まさに「予定は未定」だった。ただ、これほど、未定の時間を不安に思うことはなかった。


しかし、何がおこる/おこったとしても、そしてどれほど不安や心配の気ばかりを持っていても、現場のお医者さんや看護師さんに任せるほかはない。「一番不安なのは、自分自身のはず」途中から、父親を応援する気持ちになった。不安や心配ではなく、その応援の念を一生懸命送ろうと、病室の換気口をずっと眺めていたりもした。信念という言葉はよくできているな、と後で思った。


現場の皆さんももちろんそうだけれど、一番頑張ったのは本人。無事終了した手術の直後、麻酔から覚めた父親が、精一杯の力を入れて握り返してくれた手を感じられて、ほっとした。


病棟のフロアは特に、何らかの理由で入院している人が過ごしている場であり、健康体である自分のほうがマイノリティになる。この感覚は、今まで持ったことがないものだった。普通に歩ける、普通に話せる、飲食したいときに自由にそれができる。こんな普通のことが、文字通り有り難く感じた。健康体でも悩むことはあるけれど、五体満足でいられる幸せの中では、明るく前向きに、自分次第でいくらでも越えて行けるように感じた。そうあるべきだとも思った。