わたしの3・11 あの日から始まる今日
・あの日のあの瞬間をどう迎えたか
・その後に何を感じ、どう行動したか
という2段階構成で、各人の文章を読み比べられる。先頭と中ほどに編者の茂木さんによる文章が提示され、その周囲に、作家、演奏家、学者、ジャーナリスト、歌人など職業はいろいろながら、あの日以降が等身大で描かれている。
「書ける」という状況そのものが一種の幸運であることは確かで、横浜で揺れを体験した自分がこれを読めるというのも幸運だ。そういう意味で、著者達との近い距離感を持って読めた気がする。
何らかの事情や理由で被災地へ赴いた人の文章には「現実」という言葉がよく出てきているように感じた。そうしていない人の文章では「無力」がそれだ。意外と「不安」は少なかった。
前者の場合、想像もしなかった現実が目の前にあり、これまでの自分の日常が非現実的に思えるほどだった、ということだろう。後者は、辛い、悲しい、悔しい、けれど‥の後に続く気持ちとして必然に出てくる。「不安」が少ないのは、自分に関わる問題として震災と向き合っているからだろうと思う。逆に巷間では、実体験していない人ほど「不安」を口にしていると感じる。
珠玉、という単語はこういう文章にはふさわしくないかもしれないが、個人的な珠玉はサンドウィッチマン2人の談話文だ。足下の地震と目の前の津波を実体験した生々しさが伝わってくる。同じ場所で同じことを体験したからか、そのときの心象や擬態語の表現がほとんど一致している。
一部の人の文章は2段組みになっていて、結果的に読み続けさせる工夫になっているように思う。無事にこれらの文章を読むことができる幸運に感謝しながら、読んで感じたことを大事にしていきたい。