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足す芸術、引く芸術

華道を始めて数年、どちらかというと飽きっぽいほうだと思っている自分にしては、長く続いているほうだ。着物を着て正座して‥という最初のイメージとは異なり、普段着で、先生の自宅や公共の会館で教わる形だ。一部にある、厳粛とした修業というイメージはなく、強要されることもない。(もちろんそうすると人が集まらないからで、)あくまでみずから進んで通う稽古ごととして参加できる、敷居の低い空間芸術だ。

足す芸術、引く芸術

  • 習いはじめの頃は、下に書いたように「基本の骨組みにいかに足すか」という「足す芸術」
  • そのうち慣れてくると「まずいろいろ足してみて、空間としてのバランスを考え、よけいな葉は落とし、丈夫な枝分かれ部分でも邪魔と思えば切り落とす」という「引く芸術」だと感じる。たくさん色を使えばいいというものでもなく、本数が多いから美しいということもない
  • 「二度やって同じ作品にはならない」はどれも共通と思うけれど、絵画(水墨画などは特にそうかもしれない)は足す一方、彫刻は引く一方と考えると、足すも引くもあるという考え方はけっこう奥深い

古流の場合

流派や会派によって違いはあると思うけれど、基本的にはどの活け方であっても、基本の型(かた)が決まっている。いま習っている「古流(現代花)」では、

  • 色づいたその季節の「花」と、細長い草木「枝もの」を組み合わせる
  • 三主線「真(しん)・副(そえ)・受(うけ)」を基準として、型によってそれらを剣山に挿す角度を変える
  • それらの周囲に「配(あしらい)」をまさにあしらうことで、バランスを保ちつつ、三主線に修飾を加える
    • 枝葉末節という響き自体はよくないが、その末節の向きや葉の数を少し変えるだけで、作品全体の雰囲気がけっこう変わる
  • 三主線の長さは、花器の大きさに準じて決まる。基本的にはその径が大きいほど長く入れ、径との比率もだいたい決まっている。黄金比の謂われと少し似ているが、その長さだと美しいとされる比率が経験的に決まっている
  • XY平面上での配置と、Z軸方向の長さが効いているので、XYZの"空間"芸術といえる(これは彫刻も同じか)

"伝統"を感じることがある

漠然と"生け花"といっても、どれくらいの歴史があるのだろう。たとえばWikipedia歴史の項によれば、庶民の嗜みとして広まりだしたのは江戸中期〜とある。簡単に考えても300年近くの歴史があるということだ。それをすべて背負っているわけではないけれど、伝承されてきた作法そのものと同じく、普通にこの時代に生活しているとなかなか触れることのない、格や体面を重んじる世界をかいま見ることもある。たとえば、

  • 弟子がいて先生(教授)がいて、
  • 教授が集まる研究会があり。そこでは教授が家元に教えを受け、
  • それぞれの家元はまた「○○流△△会」の代表として、大きな組織のもとに属している、

という、わかりやすいヒエラルキーを保っている。おばあさんの教授がかなり年下の家元に頭が上がらない、という関係が普通にあり、会社勤めをしているとなかなか経験できない風景だ。

コスト面を冷静に考えると

  • 月謝や花代を合わせると → 実費で\1.5万前後/月(もちろん、花材の量や種類、流派によって差はあると思う)
  • 月1回の「研究会」に原則毎回参加 → 花代含めて\3000/月
    • 決まったテーマ(花材の種類や本数も決まっている)で活け、審査してもらい点数をもらう
  • 年1回の「新年会」に原則毎回参加 → 約\2万/年
    • 皆勤、免許皆伝、もしくは研究会の成績がよいと表彰してもらえる
  • 点数の合計がある基準に達すると「部(段位のようなもの)」が上がり、免状を受け取る。間隔にばらつきがあるがだいたい1.5年に1回で → \5万/回
    • 免許皆伝だと\20万(これは1回だけ)免許取得費用、お布施、上納金、などいろんな言い方はできそうだが、"伝統"的なヒエラルキーをあがっていくのに必要なお金ということになるか

‥あえて年換算はしないことにしたけれど、特に後半はものものしい。研究会など、教わる機会ごとに対してはそれほど金額を感じないが、全体としては、実はお金のかかる趣味なのかもしれない(ホームページに入会の案内はあっても、さすがにこの金額の案内はない)まあ、辞めたければ辞めるのスタンスなので、続けられるところまで続けようと思う。