always one step forward

とあるピアノ発表会

とある発表会を聴きに行った。普段はプライベートレッスンを受けている、プロではない人々(しかし素人が聴く限りはプロに近いと思える人もいた)が順番にステージに上がり、静かな会場で演奏する。独奏だけでなく、生徒と先生の連弾、親子での連弾もあり、先生の作品で締められるという豊富な構成だった。

同じ楽器でも異なる音色

じっと聴いていて感じたのは、同じピアノでも、弾く人によって - スキルや経験年数の差は当然あるとして、それを差し引いても - えらく音色が変わるんだなあというのが不思議で、ま〜聴き飽きることがなかった。

  • 背中をやや丸めながら、時おり指を震わせるくらい丁寧に弾く人、
  • 礼が丁寧でゆっくりとした身体の動きなのだけれど、鍵盤に指を載せてからはダイナミックですばやい腕の動きに変わる人、
  • 2曲連続弾く人でも、音色の強さがかなり違い、「この人はこの曲のほうが得意というか好きなんだろうな」と思わせてくれる人

音色にその人の心持ちが現れているのではという感じだ。

みなさんこの日のために練習してきた、もしかしたら入試当日のように朝から緊張していた人もいたかも、という気持ちになってきて、多少の失敗は「いいですよ、いいですよ」と(偉そうにも)大目に見る雰囲気だった。

当然、自分が聴くときに座る位置やホールの壁面、細かく言うと湿度もほぼ一定。ピアノの状態がどう変わるのかは詳しくないけれど、演奏順も影響してなくはなさそう。しかしそうなると一方で、いろんな人に"動かされ続ける"鍵盤やハンマーや弦が、途中の調律作業も必要としないまま、(素人が聴く限りは)同じ音程を保っている点も、不思議に思えてくる。

とにかく、演奏者が与えたり込めたりする動きに、とても忠実に反応する様子。そういえば、こんなふうに1つの楽器を複数の人が連続して弾くケースは、これまであまり聴いたことがなかった。だから一層そう思ったのかもしれない。

発表会というアウトプット

どこかの誰かが言っていたけれど「アウトプットのないインプットは、インプットではない」という箴言。当の本人は億劫に感じるほうが多いけれども、練習成果を外に向けて披露する機会は決して悪くない。

先生によれば「長く続ける生徒は多いけれど、そんな人でもモチベーション・やる気の波はあり、長いスパンで向上心をを保つのがけっこう難しいんですよね」と。その大きな機会として機能しているのは、楽器を問わず変わらないのだろうな。


もう辞めてしまって1年になるけれど、ヤマハでウクレレを習っていた頃を思い出す。年1-2回のペースでそれなりのホールを借りる演奏会。数ヶ月前から曲目やパートを決めて練習する。練習で指の動きは問題ない、、と思っても、本番の舞台で受ける"照明感"に上がってしまい、同じスピードで演奏しているつもりでも、気がついたら「いやあ早かったですね」と言われるくらいになってしまう。

これまで機会は多くないけれど、学会やセミナー、人前で話すときは、人が誰も入らない開始前に会場へ入り、意味もなくうろうろして、その場の雰囲気に慣れることがけっこう有効な薬になる。ただこういう演奏会では、参加人数が多かったりスケジュールがタイトだったりしてこれができないことが多く、リハーサルと称して音合わせするのは本当の直前で、現場に慣れる暇がない。

、、ああ懐かしい。なぜ辞めたのだったか。上に書いた、このモチベーション、上達しているという感覚が薄れてきてしまったからだった。毎日練習するわけでもなく、片手間感覚が抜けなかったのもある。しかし、楽器を習うことはとてもいいことで、気分転換、曲や楽器への興味、そこにしかない人のつながり、そしてたいていは一生続けられる趣味にもなる。ちょっとまたレッスン見学に行ってみようかと思えるいい機会だった。


20130323