always one step forward

「無知の無知→無知の知」も前進

今の職場では、基本的に教えるよりも教わる機会が多い。ありがたい話。

3 → 2 は難しい

自分で手を動かして掴み、理解しながら内容を進めることはわりとたやすい。しかしわかっていない内容にぶつかると、当たり前だけど、途端に進みが止まる。最近はそういうケースが続いた。丁寧な説明を聞きながら感じたのは:

  1. 自分が理解している、とわかっている(気づいている)内容
  2. 自分が理解していない、とわかっている内容
  3. 自分が理解していない、とさえわかっていない内容

に分けるとして、

  • 2 → 1 の障壁は意外と低い
    • 質問したりwebで調べたり自分でテストしたりですんなりいく
    • ジグソーパズルでいうと、
      • 2 欠けたピースの場所がわかっている状態
      • 1 既に埋まった周りのピースの絵柄が頼りになり、欠けたピースが埋まった状態
  • 難しいのは 3 → 2
    • 「何がわかっていないか、わかっていない」という状態
    • ジグソーパズルでいうと、
      • 3 欠けた部分のほうがほとんどな状態。「えーとこのピースはどのへんだろうか」さえも見当がついていない

MECEを考えるならもう1つ「自分が理解している、とわかっていない内容」となるけど、これは何だろう。ブラインドタッチとかはそうかもしれない。脳がおぼえているというか、キーの位置を考える前に指が動いている感じ

ソクラテスの言葉を無理やり借りれば

  • 2 自分が理解していない、と自覚できている内容:無知の知
  • 3 自分が理解していない、とさえ自覚できていない内容:無知の無知

とはいえ、いきなり 3 → 1 とはならないので、まず 3 → 2 とすることが大事。2 に至るだけでも実は前進

最近は 3 がかなり多かった。3 → 2 にするには落ち着いて頭をはたらかさなければならない。諸作業が並行しているとこれもなかなか難しい。

wikipediaのリンク先には「論語『知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり』」という言葉もあった。昔の偉人はさすが気づいているな。。論語は読んだことないけれど、大人になって読むと面白いのかもしれない。

ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)

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論語 (岩波文庫)

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