always one step forward

19950117

こうやって書けることも1つの幸せだと思いながら。


2日間のセンター試験を受験し終えた翌朝だった。試験後で2階でぐっすり眠っていたはずの体が飛び起き、当然のように立ち上がった。感じたことのない横揺れだった。まだ揺れている。家がぐらぐら、下りる階段もぐらぐら。けっこう冷静に階段を下りながら、まだ揺れている。音は、揺れる窓ガラス、サッシがきしむ音だ。家族がパジャマ姿で集まったころに、ようやく揺れがおさまったように記憶している。けれど電気は点き、テレビは電源が入った。大阪のこの区域は、停電にはなっていないようだった。


NHKニュースで、発生時刻が5時46分であること、日本中にたくさん並んだ震度の数字、電車の運転見合わせの情報、神戸放送局の大きく揺れる映像、が交互に繰り返し流れていた。どうやら相当大きな地震が起きたようであることはわかった。家も家族も無事だったが、父親が灘区勤務だったので、会社どうしよう、とりあえず、まずは行くことにしよう、となった。僕は、何もなければ、2次試験への準備を、となっていたのだろうけれど、当然そんな状況ではなく、ひたすらニュースを見つめていたのを憶えている。


かなりの期間、JRも阪急も不通で、「行けるところまで乗り、あとは歩いたり原付乗ったり」という父親の話も聞きながら、言葉にできない辛いニュースばかりを眺めていた。なにか、明るい気持ちになるのもはばかられるという雰囲気だった。父親の顔も疲れていたが「被災した人はもっとしんどいねんから」と言うのを聞き、さらに我慢する気持ちを学んだ気がする。16年経っても、どんな小さな揺れにも敏感なままだ。しかし、本当の実体験がないからか、住む街で防災セットを準備するとか、避難ルートを確認するとかは、結局していない。結局、体感したものしか残らないのかもしれないが、それでも、貴重な経験としてずっと持っておきたい。