always one step forward

20110311

わりと落ち着いた金曜の午後、トイレから戻る廊下で、横揺れがゆっくり始まった。


「ああ、地震か」と席に戻った頃にはその揺れが激しくなり、居慣れた座席まわりで、聞いたことのない、机やパーティションのきしみ音が続く。「これは、どっちかというとまずいほうの地震だ」とっさに財布と携帯電話だけをつかみ階段へ走った。エレベーターはもう当然停止していただろう。30階以上から歩いて降りる間も、壁と階段の手すりがぎしぎしと揺れている。このままここが崩れたらどうしよう、けれどこの階段しか降りる道はない、ともう何も考えずだった。「揺れる階段を何も考えず下りる」あのときの感覚と同じ、「またあれか」という感覚だ。


途中の階から同じように下りる人と「合流」する。避難訓練なら言葉の1つも交わすところ、本当の非常時なのでそれもなく、けれど状況からの変な連帯感で、1人よりは心強かった。1Fまで降り切って、室内履きのスリッパのままなことに気づきつつ、すぐ外へ出られる場所で、携帯ニュースやtwitterクライアントのリロードボタンをたくさん押しながら、繰り返される大きな余震を感じていた。「建物の中は安全です」という館内放送を、本能的に受け入れることができなかった。2時間ほど1Fをうろうろし、エレベーターの復旧を待たず、もう1度階段で上まで行き、荷物をとって再度階段で降りて帰宅した。


以降は、つまびらかに広く報道される通りで、被災地の広域さ、犠牲者の数、原発への憂慮、安定停止への人々の努力など、いろんな点であの地震阪神・淡路大震災)を超えてしまった。首都圏では計画停電、電車運行で大混雑などの混乱もあるが、基本的に電気/ガス/水道は来ていていわゆる平時と同じ。中期的には夏の供給電力不足をどうするか、長期的には首都圏人口や集中機能の分散が議論され、これまでの緊急地震速報や、多様な地震感知システムなどが大きなきっかけがあって発展してきたように、今回もいい意味で、配電技術や自家発電、スマートグリッドの発展につながると思う。また、twitterfacebookを含め、インターネット上で客観的なデータを得ようとする作業の中で、(その情報が本物か?と自分で咀嚼する意味も含めて、)自分の尺度ができ、冷静な判断ができることもわかった。自分の中でもこの機会にいろいろ考えてみたい。