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黄金を抱いて翔べ

初版1990年(文庫は1994年)、それまでの自分の人生で初めてのめり込んだと言える(そして今も”好きな小説のスタイル”のベースとなっている)小説が原作、時間を経てこの時代に映画化、となると一応観ないわけにはいかない。高精度な原作の筆致と比べると、削ぎ落とされたシーンや思想もやっぱり多かったけれど、逆に映像化されることでまざまざと思い出せたシーンもあり、素直に楽しめた。登場人物それぞれの描き方も手を抜かず、原作読んだ人も満足したのではと思う(以下ネタバレ)


連絡やり取りに通信機器は出てこない

  • 新鮮なのは(時代考証からは当然ながら、)携帯電話が一度も出てこないところ。ポケベルやPHSももちろんなし。待ち合わせ場所は基本的に口頭で伝え、どうしても必要な連絡は固定電話。携帯電話(やBluetoothマイク)で連絡取り合うドラマや映画を観すぎているのもあって、逆に泥臭さをかもしだしてくれていた。しかしこの時代に合わせて、不自然な進行にならないようにスムーズな構成にするのは、けっこう大変だったのでは
  • 爆弾作成の材料をそらんじる春樹は「メモは取るな」とモモから忠告を受けている。まあこのあたりは、通信手段に加えて、犯罪計画だから隠密に進めなければならないのもあるだろう。(僕は小説を読んでいて子供ながら「そうか、メモを取ってはいけないくらいまずいことをしているのか」とドキドキしてページを進めたのを憶えている)
    • そういえば、ポケベルが流行りだした時代とかぶってなかったっけ、と思って調べると、[ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」](http://ja.wikipedia.org/wiki/ポケベルが鳴らなくて)の時代(1993年)は、小説発売の頃(1990年)よりもう少し後だった。「だいぶ昔で、だいたい同じあの頃」という自分の記憶がいかにあいまいか。もちろん携帯電話が日常で使われる時代が舞台なら、この小説の空気感ももう少し変わっただろうな

現場侵入の泥臭さ

  • 現場の見取り図が手書き。これも現代ドラマ/映画だと、なぜかチームに1人はいる"IT担当"が基幹システムをハッキングして、「見取り図をあのスクリーンに表示します」などとやるものだが、、おそらく北川が定規片手に描き上げたであろう見取り図が何度か登場して、変にリアル
  • 「守衛を1人ずつおびきよせて殴り気絶させる」をなぜか丁寧に描写。侵入シーンは、緻密なチームプレーができたことを示せばいいはずだけれど、監督がこのあたりの細部も描きたかったのかもしれない。とにかく、銀行内の面子がどんくさいなあと思いながら観ていた

侵入計画以外の背景描写

  • 本筋の侵入計画とはまったく別方向のベクトルを持ち、異様な存在感を示す「青銅社」周り。幸田や北川との過去の関係はあいにく描かれていなかったけれど、山岸の外観など、「何だかよくわからない彼らの雰囲気」はいい感じに映像化できていたと思う
  • いわゆる左翼とは、という背景知識も必要なのだけれど、小説を読む当時はよくわからなかった。今思えば、この作品の世界観を彫り出すもう一つの側面であることは確か。カトリックの教会や聖書の登場と混ぜ合わせると、いわゆる「転向」も深いキーワードの一つになっている(と思う)

大阪弁の"精度"

  • さすが井筒監督作品というか、中途半端な大阪弁が一度も出てこずで満足。関西出身の役者をそろえて「正確な」関西訛りを聴けた。ギャンブルのシーンで青木崇高さんが放った「いねや」なんて、久々に聴けた
  • 西田敏行さんもほんとうは味のある訛りで話せるはずだけれど、チームの中で関西弁を話すのは野田(桐谷健太さん)だけという設定なので、標準語。しかし完璧に役にはまっていた

黄金を抱いて翔べ (新潮文庫)

黄金を抱いて翔べ (新潮文庫)