always one step forward

あらためて水泳

横浜を離れたタイミングでジムに行かなくなり数ヶ月、食べる量を変えていないので(+デスクワーク型の仕事もそのままなので)やっぱり体重が増え始めた。正確には、それまでジム通いで徐々に減っていた分が、戻ってしまった感じだ。

  • 家の近所や乗換駅そばにジムがあれば即入会なのだけれど、残念ながらないので、近所のプールに週1−2回通っている。平日夜は、運動を‥と同じように考える社会人スイマーでそれなりに混んでいるけれど、土日の夕方などはけっこう空いていて泳ぎやすい。
  • 基本的には、他の人と会話は無い、黙々とした空間なのだけれど、ふと言葉を交わしたおじいさんが「今年72才で、ここにはもう30年通っているんですよ」みたいなことを話してくれるような、アットホームな雰囲気もある。

だんだん慣れてきた

  • もう最初は25m到達さえおぼつかず、とぎれとぎれに30分泳いで、諦めて終了、というありさま。しかし何度か通ううちに、50m泳ぎ通せるくらいに、また休憩しながらでも1時間半くらいは水の中で過ごせ、運動で身体が温まる感覚も普通に得られるようになってきた。
  • だいたいクロール7割、平泳ぎ3割で過ごす。正確に言えば、どちらで泳ぐときも息継ぎを完璧に思い出せていない。吐ききってから吸う、をしないので、ぎりぎりまで我慢して結局まともに空気を取り込めず、無駄にしんどい思いをしている気がする。これをスムーズに身につければ、もっとがんばれるかなあという気がしている。

泳ぎを覚えたのは‥

そもそも、こういう泳ぎ方をどうして身につけたんだろう、と水泳の経験をさかのぼると、すぐ思い出せるのは小学校時代だ。中高でも体育の授業や水泳大会はあり、それなりにがんばって泳いでいたはずなのだけれど、あまり記憶に無い。大人になってからは、海も含めて、ほとんどといっていいほど泳いでいない。ということは、小学校時代の経験が ー 30代半ばなので、約30年近く前の経験が ー いまあらためて役立っていることになる。

  • 水泳帽に縫い付けてもらった、級をあらわす色つきの紐(たしか赤とか黄とか、級が上になると黒)が目安。上の級に上がりたいから、と一生懸命泳いでいた気がする。黒い紐がよく泳げる"象徴"なので、黒をもらったときは嬉しかった
  • もちろん、家族でプールや海に行き、水を怖がらない経験をさせてくれたのもあると思う
  • 「学生時代は水泳部でした」という人でない限り、社会人になってからの泳ぐ経験は意外と限られている気がする。そうなると、それくらいの子供の頃にどんな"水回りの経験"をできているかで、水泳できる/できないがけっこう決まるような気がする

まあ、水泳でもジムでも外ランニングでも、身体を動かせば、活力が出てくるというか、もっと運動しようという気になるし(そうでないと、部屋でだらだら過ごして、余計に出不精になる)体重のこともあるので、運動はほどほどに続けたい。