2015年夏 広島探訪
今年の夏は広島を旅した。
本当は長崎市内も含める予定だったけれど、近づく台風の進路がどう考えても帰便(新幹線)に影響するだろうなと、広島から西へ向かうのは見送った。結局1泊2日。
訪れた場所はとても限られたものになったけれど、それなりに街の雰囲気を味わえたと思う。
街を歩いた感想
歩きつつ感じたことは、「もしあの被爆がなかったら、この街はどんな発展をしてきただろう?」の1点だった。極端だけれども。
「広島県産業奨励館」
たしか8/15のTBSテレビだったかで知った、「原爆ドームは昭和20年8月時点では"広島県産業奨励館"と呼ばれていた」というエピソードが心に残っていた。
被爆がなければ「広島県産業奨励館」という名前の建物がきっと今も現存していただろうな、となんとなく思いつつ、広島駅を降りて街を歩くと、
- まず広島駅を降り立つ人々の多さに「その地域の主要都市」を感じ、
- 路面電車の車窓から、大きな都市として発展した市街地をそこかしこに眺め、
- 原爆ドームや平和祈念資料館を訪れる、特に外国人観光客の真剣な表情を目にして、
- 「原爆の子の像」そばに置かれた、全国からの折り鶴の数を目の当たりにして、
と、街の表情として感じ取れたのはそのあたりだった。
1泊2日の短時間で、歴史や被害の重みが見えるわけはなく、街の一面しか見ていないことは明らかである。しかしなんというか、ともかく、いわゆる普通の大都市に見えた。
そしてもちろん、被爆があってよかったということではない。
If not
もし被爆がなければ、どんな特徴がある都市になっただろう?
などが挙げられるだろうか。一方で、
- (b)
- 平和の象徴
- 「平和」と聞いて思い浮かべる都市はどこですか?と日本で聞けば、それなりの割合で「広島」が返ってくるはず
- 平和を祈念する国民にとって(勝手に)拠り所にしている場所だろう
- 都市が背負う歴史の大きさ
- 国際軍縮会議が開かれたり、8/15の市長宣言が世界に報道されたり
- 観光客を引きつける価値
- 修学旅行や、日本人外国人を問わない観光客
- 平和の象徴
などは、今後も色褪せることなく確実に存在するだろう。
(b)は「戦争」や「平和」というタグ付けがなされた都市のプロパティとも言え、(a)は「仮に」そのタグが取り払われた場合のプロパティ。(a)だけでも、充分魅力的な都市だろうな
あとは写真と合わせて(あまり深いことは書いていません):
路面電車
生活に溶け込む
広島電鉄、広電。車窓はだいたいこの風景。普通の幹線道路の中央に、路面電車の線路が敷かれている
これはもう少し幅の狭い生活道路。線路が、かなりの幅を占めている。街中に溶け込むというよりは、むしろ生活交通の主役であることがわかる
この車は近づきすぎで、クラクション鳴らされていた。まあそれだけ自動車用道路と一体化していると言える
よく見ると「常昇魂」という漢字に「red」の3文字が仕込まれている。もちろん広島カープの赤を示すのだろう
1日乗車券
¥600で電車全線乗れる。スクラッチ式で、該当の日付をこすっておき、降りるときに運転手に見せる。合理的
上記は緑の1日乗車券で、電車だけ。もし、宮島行きの船に乗ることが確定している場合、赤い¥840のほうを買うと、往復の乗船代も含めた1日乗車券として使える
宮島線へ直通
広電西広島駅。ターミナルのような構造に、複数の車両が見られる
そこから宮島線を、宮島口へ向けて南下する。景色はほぼこのように直線状に変わる
宮島
だんだん左岸(南下しているので、東側)に見えてきた
降り立つとわかりやすすぎる方向案内。ここまで来た観光客はほぼ100%こちらへ向かうのだろう
「宮島口」から「宮島」駅へ。その間が航路になっていて、海上にあるJR西日本の路線である
航路から見る厳島神社の鳥居。もっと近いと思っていたけれどわりと鳥居までの距離はあり、ズームなしだとせいぜいこのくらい
「丸まじやみ」
「宮島松大汽船」の船が見える。自分が乗っている「JR西日本宮島フェリー」とは並行した路線。同じく、本州側の「宮島口」と「宮島」駅を結ぶ航路
出口付近の通路にもみじ
宮島に上陸
いきなり鹿のお出迎え。カメラを向けるとゆっくりと近づいてくる
しかし人に慣れていて、修学旅行生の集団に紛れても何も問題なし
「立て札に書かれた"厳島合戦"の基本を忘れかけ、これではいけないと、右の鹿に気づかれないように復習している左の鹿」に見えなくもない
厳島神社へ至る表参道
晴れていてよかったと思える1枚。屋根づたいにかかる白いひさし。商店街の屋根のように作り込まず、手作りで済ませているところに何だか味がある
牡蠣やアイスなど飲食店も多いけれど、このような雑貨店も数多かった
よく見ると、小さなしゃもじに直筆で文字を入れている
追加料金で、自分の好きな文字を入れてもらえるようだった(買っていない)
「牡蠣カレーパン」カレーパンに牡蠣が入った、という想像通りの味。しかしいい組み合わせでうまい。しばらく忘れられない味
鹿さんたち
"神鹿"ともよばれる厳島神社の鹿。人馴れしていて人を襲うこともなく、まあお腹は空かせていたようだけど、観光客の間をのんびりと歩いていた
とにかくのどか。
この角度でみてしまうと、物憂げという言葉しか思い浮かばない
- これだけ近づいて撮影出来る。というくらい人馴れしている一方、一応「野生」ということになっているらしい
- 過去には観光客の餌やりで体調を崩すなどもあったからか、いまは「餌やり禁止」だった
- どのように管理していくのがよいか?紆余曲折もある中、広島県や廿日市市による基準は決まっているようだ
厳島神社
大鳥居。写真でしかみたことなかったけど、潮の状態によってはこうやって歩いて近づけるくらいの浅瀬、というのを来て初めて知った(自分の目で実感する大切さ?)
神社。なかなか混んでおり、なんと「ここまで来て入らない」という選択をとった。また来よう
船で本州側の「宮島口」へ戻り、広電でのんびりと北へ向かい、広島市内へ戻ってきた
広島平和記念資料館
静止画撮影はOKだった(動画、フラッシュ撮影は禁止)
爆心地を示す模型
黒い雨
原子爆弾の被爆で感光したレントゲンフィルム。当時、病院内で保管されているはずのレントゲンフィルムが感光してしまうくらい、強力な放射線だったということ
爆心地近くにあった三輪車。ひどい有り様だった
一方で前向きな、たとえば救護活動など助け合ったことがわかる、そういう展示も多かった
おそらくアメリカ人観光客、被爆体験者のインタビュー(英語字幕付き)を熱心に見ていた
原爆ドーム
あの被爆がなければ「広島県産業奨励館」と呼ばれていたはずの建物。青空に茶色が映える
やはり外国人観光客も多かった。見上げる人々の様々な思いを吸い上げた、真摯な茶色に見えた
平和記念公園
美しく、よく手入れされていた
原爆の子の像
全国から届く千羽鶴。平和の象徴としてまず思い浮かぶ街でもあり、今も日々それなりの数が届いているだろう
今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽にものぼります。
お好み焼き
駅ビルASSE 2F「いっちゃん」でお好み焼き。エビ入り、そば入り
オタフクソースありでもなしでもおいしい。お腹空いてたからというのもあるけど。何というか素朴な味。また行きたい🍴
八天堂クリームパン
広島駅新幹線口構内の八天堂、カープ坊やの焼印入り。味はカスタード
柔らかいパンが。柔らかにクリームを囲っている。首都圏にもちらほら店が出ていてそれなりに人気なのだろう