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写真洗浄ボランティア

<9月も募集中なので興味ある方はどうぞ。ブログに募集状況などいろいろ載っています>

東北地方で津波被害に遭ってしまった人々の家にあったアルバムの写真を”救済”する、というハートプロジェクトにボランティアとして参加した。元々は、会社近くで行われていた富士フィルムの展示会に「写真救済プロジェクト」が紹介されていて、ああこれはとても大事なことをしているな+しかもおそらく膨大な手作業だろう=ボランティア募集していたら申し込んでみよう、と思ったのがきっかけだった。この夏にはありがたい室内作業ながら、けっこうな肉体労働で、1枚1枚を次々にかつ丁寧に扱う、という大変さを味わいながらも、共同作業で気持ちや意思を形にする(←正直、この感覚はしばらく忘れていた)いい経験ができた。


被災した人々の家には、おそらくどの家庭にも写真アルバムが残っていただろう。特に津波の被害があった地域では、家財とともに浸水してしまったことになる。今回は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地域の人々の写真だった。名取市閖上も初見の地名で、当時の現場の情報日本地理学会の被災マップから想像するに、他の沿岸地区と同じく、相当な被害のようだった。もし自分が経験していたら、残念だけれど(命が助かったことの方がありがたいので)写真は諦めてしまっていただろう。‥しかしどの写真にも、何がしかの思い出は残っているわけで、それが元の持ち主に返ってくれればいい、それに協力できたら、という気持ちだった。


作業はだいたいルーチン化されていて、1度その作業を経験した人が丁寧に教えれば問題なく伝わる内容。机やたらいの大きさから、3-4名が1グループになると一番効率的に進んでいた。決められたチームにはなっていなかったけれど、手が空いたら「手伝いましょう」、負荷がかかっていそうなグループには誰かが手を貸す、というバランスの良い"勤勉さ"がずっと続いていた。自分の作業が終わってぼーっとしようものなら(なるべくしないようにしたけど)、すぐ手持ち無沙汰になるくらいだった。自分の意思で集まった10数名ではあるものの、さすが日本人、と当然とも思えるし、新鮮にも感じた。


(あとは作業メモです)

  1. はがし
    • 泥だらけになったアルバム(家族、婚礼、赤ちゃんのアップ、旅行先、送別会などいろいろ、撮影年代も40年前〜数年前まで)を開き、1枚ずつカッターで切り離す
    • 表面からは[1. フィルム→2.写真→3.台紙]という構造で、1⇔2に海水がしみ込みすぎているとアウトな場合が多い
    • 写真の面積の80-100%がそうであれば”供養”(乾燥した状態で提供元へそのままお返し)、半分くらいが残っていても、顔の部分が消えてしまっていたら、お返しする意味があまりない、という判断で供養だった。この判断は正直、難しかったけれど、「もし自分の写真として返してもらったら」という視点を大事にした
    • 逆に、時間経過にかかわらずきれいに残っているものも意外と結構あった
  2. 撮影(ここだけ未経験)
    • 1⇔2をはがすと感光した像が落ちそうなものは、はがさず、洗浄にまわす前にデジカメ撮影し、CD-Rに入れて他の洗浄後の写真に同梱
    • 全部をそうするわけにはいかないし、慎重に撮る必要がある分、作業全体ではここが律速になるので、1人はつねにこの作業だった
    • 全体の洗浄枚数に比べるとどうしても少なくなるが、個人的にはこの作業が、プロジェクトを象徴しているように思えた。普通は、ここまではしないだろうという配慮だからだ
  3. 洗浄
    • たらいに水道水をためて、手洗いで泥やバクテリアを落とす。3/11の浸水から時間が経過すると「乾いていくので処理しやすい」と思っていたら、逆で、バクテリアが繁殖してしまい、他の大丈夫な部分もだめにしてしまうそうだ
    • 水分を取ったら、窓際に並べられた洗濯ハサミに1枚ずつ挟み自然乾燥
      • 写真はこの状態
  4. 仕上げ(乾燥〜アルバム)
    • ある程度乾いたら外し、ドライヤーで10秒くらい乾かした後に紙製のミニアルバムに入れていく
    • 写真の裏に「昭和58年○○新年会」のようなメモ書きがあれば、それをポストイットに書き写し、写真の表に貼る。この作業も地道だけれど、アルバムに入れるとわざわざ裏返す人はいないはずなので、持ち主と紐づける手がかり
  5. 発送(これも未経験)
    • 元々のアルバムごとに、その表紙(多くはその片側だけ)を同封してミニアルバムを名取市閖上まで送る
    • おそらく、元の体育館か市役所などに並べられ、探しにきた人が「これうちのだ」と見つけてくれたらとてもよい