生の落語
わりと近所で行われた落語のチケットがとれたので、ふらっと聴きに行った。春風亭一之輔さんという、21人抜き真打昇進で話題になったらしい人の独演会だった。…らしい、というのは、それまでの予備知識がまるで無かったという意味で、それがどれだけ破格で異例なことか、というのも帰宅後のニュース検索で初めて知るくらいだった。けれど、最初に聴いた噺家が一之輔さんでよかった、と思えるくらいおもしろかった。同世代(向こうがちょっと年下)の落語家に、早くも名人芸を見せられた感覚もあった。同時に、いわゆる”寄席”の時間の流れ方、聴く側の楽しみ方(楽しむ姿勢といってもいいかも)、うまい噺家の見分け方、が何となくわかり、日本の伝統芸能を少しかじれた気になってなんだかいい気分だった。
会場受付のおじさんは、電話予約を受けてくれた人で、たまたま最後の1枚だったのもあり、「お、残っててよかったね〜」と(1対nではない)1対1のやりとりをしてくれる。ああ、こういう情が残った世界なんだなと感じる。ホール自体はどちらかというとコンサート等に使われるのがメインで、いわゆる寄席小屋の形ではなかった(ようだった。他をまだ知らない)けれど、出囃子も噺家の声もマイク越しによく通っていて、落語を聴く側としても居やすい空間だったと思う。
- 「小粒」春風亭一力
- 「茶の湯」春風亭一之輔
- 「猫久」柳家喬太郎
仲入り
文字通り身体一つで精魂込めて演じる生身の人間がいて、そのさまや言葉遣いを笑い楽しむ人間がいる。その間には、CGやSE、最新のWeb技術などはもちろん存在せず、人間だけが作れる世界だったり、時間だったり。ブームがどうこうと言われるけれど、廃れずに長い歴史がある理由も何となくわかったし、これからも絶対に廃れることはない娯楽だなと感じた。あとは自分なりに気づいた点を:
”寄席”の時間の流れ方
- 定刻になるとアナウンスが流れる。「携帯電話の電源はオフに、周りに迷惑がかかるばかりか、ご自身も気まずい思いをされるかと思いますので…」ちょっと笑いがおこる
- 開口一番、いわゆる前座。笑いもときどきおこるけれど、人物描写も展開の起伏も淡々としていて、正直おもしろくない。ただこれも、この後を聴いてから比較してしまうためで、古典落語をそらんじてかまずに話せるだけでもプロの技だと思う
- 案内には「お楽しみ」と書かれた、独演会のメインとなる一之輔さんの1本目。いわゆる枕、肩の力が抜けた漫談風。「ここに来るまでに電車を間違えまして…」や、横浜をネタに簡単に笑いをとっていく。というより、お客も安心して身を任せて笑っている感じ
- するすると羽織を脱いで、枕→本筋に入る…遷移、もしくは基底状態からの励起、とか表現してもいいこの瞬間は、たまに見るテレビの落語でも好きな場面だ。扇子で床を叩くのかと思っていたらそれはなかった。とにかく、ふっと入る、この感じがいい
- 噺そのものはもう、オンステージというか、その古典落語のおもしろおかしい内容をわかりやすく演じてくれる。変にひねった変化球もあまりない。一瞬で15分が過ぎる
- ゲスト(喬太郎さん)の一席。こういう構成が普通なのかはわからない。ここであれっと思ったのが、よどみない滑舌なのは確かなのだけれど、どうも話の内容がしっくりと伝わってこない。登場人物はせいぜい3人で迷いようが無いのだけれど。僕がキーワードを聞き取れなかったせいもあるかもしれない
- 「仲入り」と呼ばれる休憩が15分くらい入る。勝手知ったお客はスムーズにトイレへ
- その後「鼎談」と称して、一之輔さん、喬太郎さん、出囃子で三味線を弾く恩田えりさんの雑談。日大出身というつながり。盛り上がるかと思ったら、だらっとした感じで終わって、そうでもなかった。あまり話すことを決めていなかったらしい。どうせなら休憩させてあげればいいのに、と思ったくらい。ただ、次の一之輔さん一席を紹介する喬太郎さんのよどみない口上はさすが
- 一之輔さん2本目。後でしらべてわかったけれど、遊郭というくくりで二つの噺を続けて演じたものだった。「寿限無寿限無…」ではないけれど、それに近い「早口台詞」が後半の後半に出てくる。見せ場というか、ジャズライブでいうソロに近い。もう体力勝負で、やりきった、という感じ。オチの後の拍手には、よくがんばりました、という声もかなり混じっていた気がする
聴く側の楽しむ姿勢
- 予備知識はなくてもよいと思う。ネタの名前も事前にわからないこともある(今回はそうだった。開演前の案内にも書いていない)その状態であっても、うまい人は面白く、わかりやすく話してくれる
- そのうち、複数回足を運ぶと、「あ、これはAさんがこないだ演じたネタだな、このBさんはどんな風にやるんだろう」という比較の楽しみが出てくると思う
- 隣の人はメモを取りながら聴いていた。周りにもそういう人は何人かいた。熱心なファンだな。ネタのポイントまで(こんな風に)ブログに書くのだろうか。「一之輔さんのファンですか」「どこがポイントですか」とかよっぽど話しかけそうになった
うまい噺家の見分け方
- 複数の人物を演じ分けられるかどうか。簡単なようで、今回の3人だけみても、けっこう差があった。ii) までできるのがおそらく一流で、一之輔さんはまさにそうだった。
- i) 声の高さや速さだけを使うのか、
- ii) さらに表情や感情を入れまくり、(身分によって)使う言葉の選び方まで変えるのか。「魂を込める」という表現が近いのかもしれないけれど、 1人で、それぞれを一瞬で切り替え、それを延々続けるわけで、後半は「何なんだこの人は」とおどろく時間のほうが長いように感じた
- 落語に限らず、古典には、現代ではどうしても理解できない単語が混じる。それが後半でも結構大切なキーワードだったりして、最初の段階で理解できないと、引っかかったまま終わる(、という場合が多い。古典の入試問題でハマったときのよくあるパターン)「…これはおそらくわからないよねぇ」と言わんばかりに、説明をうまく挟んでくれる人だと助かる。一之輔さんはそうだった。一力さん、柳家喬太郎さんは残念ながらそうではなかった。しかしここは独演会なので、引き立て役としてあえてそうしたのかもしれない